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手料理の記憶と寂しさ

DV・モラハラ
「気分転換に(我が家に)遊びに行きたい」と言っていた弟から急遽今日来ると連絡があった。夕方に着く予定だが、私は慌てて朝から煮物作り。弟は、母や奥さんの手料理を食べれなくなったまま、煮物なんてちゃんと食べていないのではないかと思う。当たり前に食べていた手料理、作ってくれる人がいなくなって初めてわかるその価値。帰省時には、実家の食事はほとんど私が料理していた(させられていた?)が、母が亡くなる2年前だったか「久し振りにお母さんの手料理を食べたくなったから作ってほしい」と頼み、その日の夕食を母に作って貰った事がある。あの時の母は嬉しそうだった。その料理は写真に残した。胸騒ぎがしていたのだろうか。人がいなくなるという事は、その人が作り出す物、影響を与える物の記憶まで無くなる寂しさを感じるということなんだなあ。私の手抜きな家庭料理も子ども達の記憶に残ってくれるのだろうか、経済的に厳しく、たいした物を作ってあげれなかった事を申し訳なく思う。私や弟は、実家をでて自立してから「世の中にこんな美味しい物があったのか」と感じ、何でも美味しく感じてよく食べる様になった。それまでの母は、料理が嫌いで下手だったのだ。成長期でも、美味しいと食欲旺盛に食べた記憶が無い。母は、私が帰省する度、私に料理をやらせていた。だからか、私は料理に対して嫌な思い出しかなく、コンプレックスがあった。母は、老後になってから料理を

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