能登へ 墓じまい 後編
結婚生活
姉と私が泊ったのは地震の時に両親たちが避難していた滞在交流施設(旧小・中学校)です。これだけの設備があったにも関わらず地震があったとき、「許可を得てから」と雪が降る外に長い間待たされ、中に入ってからもベッドがある部屋(旧教室)には入ることが許されず皆廊下にいたのだそうです。寝具だけは皆で分け合うことが出来たそうですが(上だけとか下だけとか)、2階部分はボランティアさんの為に空けておかないといけないと言う人がいて皆1階部分にひしめいていたそうです。そして私たちは両親たちが寝ていたという食堂でパーティをしました。金沢の「芝寿し」(←クリックでサイトに飛びます)のお弁当💛。叔母が私の胃袋を考慮して(はい?)二段です(ΦωΦ)フフフ…。これを完食したのは70代の叔父と私だけでした(えっへん<(`^´)>)。今年もシャインマスカットが食べられて嬉しい( ̄m ̄〃)ぷぷっ!。私はもちろんデザートも食べましたとも!(やめなはれ)。姉と私たち家族は70代の叔父と同居していた時期があり、今でも叔父のことを「お兄ちゃん」と呼ぶのですが姉である叔母が「私と4つしか違わないのにお兄ちゃんやって...」と言い、何か渡すたびに「はい、お兄ちゃん」と言って笑わせていました。たくさん笑って話は尽きませんでしたが翌朝が早いので(5時45分出発)お開きにして、日が暮れる直前姉と私は海に行きました。海に手を入

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