#悲しみやつらさの真ん中にいるだけじゃ、見えない景色があると思う。
しあわせすぎたり、悲しすぎたりする時って、まわりが見えなくなってしまうことがあると思う。そして、自分自身も見えなくなってしまうような気がする。 好きだった人にさよならを言われたら、それはもう失意のどん底に落ちると思う。自分は最高に不幸で、悲しみの渦の中。涙は止まらないし、なぐさめの言葉も心に入ってこない。 自分を救ってくれるものなんて何もない。これからずっとひとりで生きていく覚悟をしなくちゃいけない。日々は、なんとかやり過ごすことでせいいっぱい。 もうまわりなんて見えないし、見たくない。 あまりに悲しみに近すぎて、こんな気持ちになっている時は、本当に何も見えないと思う。 自分がどうしていいのか、これからをどう考えていったらいいのか、全く見えない。 でもそんな時ほど、悲しみから離れて、遠くの景色を見なくちゃいけないって思う。 悲しみの猛スピードで走っている時こそ、遠くの景色をながめる時間を持たなくちゃいけないんだと思う。 銀色夏生さんのだいぶ前の詩の本に、走る車からは、近くの風景は流れてしまって見えないけど、遠くの景色なら見えるっていうようなことが書いてあった。 これって、目に見える風景のことだけじゃなくて、心の景色のことも言っていると思ったの。 悲しみの猛スピードで走っている時は、自分の気持ちとか、すぐそばの状況って、どんなに目をこらしても見えないと思う。
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