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生きているうちに

DV・モラハラ
早いもので、母が亡くなってから2度目のお盆。今年のお盆も実家には行けない。先日のお墓参りで、父と弟に会えたからまあ良かった。母もあれで満足してくれたかな。家で母を迎えようと思う。きっといつも近くにいる。古いアルバムを見ると、子ども達が小さい時、出産の時、実家で過ごした時の写真には、若い時の両親がいる。嫌な事も多かったけど、母が小さい身体で良く動いていた。良い妻、良い母、良い祖母であろうと母なりに頑張っていたのだろう。私は、母みたいにはできないと思う。家庭の形、夫婦で暮らしていないし、生活形態が違うし。あそこまで夫の奴隷みたくはなれない。母は、これまで何のために頑張ったのだろうか、父の冷たさのせいで何も報われなかったんじゃないかと思えて来る。私と弟が最後まで母と向かい合っていたことは救いであってほしい。でも、結果、いなくなったら意味が無いじゃないか、とつい思う自分がいる。どんなに頑張っても、死んだら終わりだと。今、私がいくら先の事を心配してもいくら頑張っても、明日はどうなるかわからない。この世から消えたら自分にはもうどうにもできないし、その後のことはわからないのだ。でも、せめて残った子等が困る様な事にならないように、手は打っておきたい。生きているうちの努力は無駄にならない、後に生きる人を守れるのだと信じたい。
Source: りんごの嘆き

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